こんにちは。弁護士の橋本です。
青空カフェでは、私の印象に残っている本について、ときどき紹介します。
今回と次回の2回は、宮沢賢治の有名な小説「銀河鉄道の夜」をとりあげます。私は、東北での生活が長くなり、宮沢賢治の話題に触れる機会が増え、以前より身近に感じられるようになりました。「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治のほかの有名な作品、例えば「セロ弾きのゴーシュ」や「注文の多い料理店」に比べ、はるかに難しいように思います。その理由について、風景描写が非現実的、抽象的で、その美しさを堪能するには相当な想像力、空想力を要すること、それ以上に、次々現れる登場人物の様子や言動が不思議、不可解、奇妙であり理解し難いことが大きいからだと思っていました。もっとも、子どものころに読んでもよく分からなかったものが、いろんな経験をして大人になった後では堪能できるようになる、ということがあります。また、話の背後にある世界観や思想に思いが至ったときに、物語に対する理解が深まることもあります。「銀河鉄道の夜」は、まさにそのような作品で、その奥深さがこの物語を不朽の名作にしているのでしょう。
「銀河鉄道の夜」は、貧しく孤独な少年ジョバンニが、夏祭りの日の夜、心優しい親友カンパネルラと銀河鉄道に乗って旅をするなかで、車内に次々現れる乗客たちとの束の間の出会いと別れを通して、人の生きる意味を問う物語です。今回は、人の心の機微、について述べてみたいと思います。
物語は「午後の授業」で始まります。先生が、銀河について生徒達に質問します。「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」生徒達の何人かが手を上げ、ジョバンニも手を上げようとして引っ込めました。それを見た先生はジョバンニを指しました。ジョバンニは、以前、カンパネルラの家で一緒に見た雑誌で、それが星の集まりだと知っていました。しかし、学校の後、活版所での仕事が忙しく、毎日疲れていて授業中も眠く、考えるのがおっくうになっていました。そのため、何も分からないような気になってしまい、答えられずに黙ってしまいます。すると先生は、先に手を上げていたカンパネルラを指します。カンパネルラは、当然、知っています。しかし、やはり答えずに黙ってしまいます。先生は、カンパネルラが答えないのを不思議に思いつつ、それ以上質問せずに、これが星の集まりであると自ら説明してしまいます。ジョバンニやカンパネルラがなぜ答えられなかったのかについて、カンパネルラや先生の考えは述べられていません。その理由がはっきり分かっているのか、なんとなく分かっているのか、全く分からないのか、書いていないのです。カンパネルラは、ジョバンニの抱えている家庭の事情やこのときの心情が分かっているのだと思います。先生は、はっきりとは分からないものの、ジョバンニには何か事情があって授業に集中できないのだろう、カンパネルラはジョバンニを気遣ってのことだろう、くらいの察しがついているのだと思います。この3人の、短い何気ないやりとりの中に、それぞれのその時々の心情、心の微妙な動き、分からないながらも相手を思いやる気持ちが見事に描かれています。
この後も、登場人物の繊細な心遣いは物語の随所に出てきます。
「家」の章では、ジョバンニが活版所の仕事を終えて夕方家に帰って、真っ先に、母親に体の具合を尋ねます。母親は、今日は具合がいいと言って、ジョバンニに用意してある夕食を食べるように声を掛けます。ジョバンニは母親と二人暮らしで、母親は病気で床に伏せています。夕食は近くに住むジョバンニの姉が昼に来て用意したものです。父親は、長い間、家を空けていていません。ジョバンニの家族関係、とりわけ父親の状況など、詳しく書かれていないため、かえって想像力をかき立てられます。ジョバンニは、一人で夕食をとりながら、母親と会話します。ジョバンニは病床の母親を気遣い、母親は父親がなく苦労をかけているジョバンニのことを気遣います。ジョバンニが母親の牛乳に入れる角砂糖を買ってきた、と言うと、母親は、ジョバンニに先にご飯を食べるように、と言います。ジョバンニが、その日に届かなかった母親の牛乳をとってこよう、と言うと、母親は、自分はゆっくりでいいから先に食事をするように、と言います。食事の後、ジョバンニが、牛乳をとりにいきながら夏祭りを見に行ってくる、1時間で帰ってくる、と言うと、母親は、もっと遊んでおいで、カンパネルラと一緒なら心配ないから、と言います。出がけに、ジョバンニは、涼しくなってきたので窓をしめておこうか、と言って窓を閉め、食事の後片付けをして、では1時間半で帰ってくるよ、と言って出かけていきます。わずか2頁ほど、短い言葉の端々に、ジョバンニを不憫に思う母親の気持ちが表れています。ジョバンニは、銀河鉄道の旅の途中、母親のことを思います。
次回は、この物語の世界観について考えてみたいと思います。