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社会と法の関係について考える

 こんにちは、弁護士の橋本です。

 今回は、社会と法の関係について、最近、感銘を受けた雑誌の記事を紹介しながら考えてみたいと思います。

 弁護士の紹介サイト「弁護士ドットコム」で毎月発行している「月刊弁護士ドットコム」という雑誌があります。毎回、各方面で活躍されている弁護士を取り上げていて、今回、棚瀬孝雄先生のインタビュー記事が掲載されていました。

 棚瀬先生は、法社会学を専門とする京都大学教授から弁護士に転身され、実際の司法の現場で行われている法の適用や解釈が、社会の中で本当に正しい法として働いているかを問い続けてこられたそうです。

「法律家も、個別ケースに法律を適用する中で、自分が適用しようとしている法が社会環境や人間関係の中で、法が正しいのかを絶えず自問しないといけない。」(弁護士ドットコム2020年2月号(Vol.53)「フロントランナーの肖像」6頁)。

 私なりに解釈するに、棚瀬先生は、法はそれ自体自己完結的なものではなく、絶えず社会の中で正しく適用されるものでなければならない、そして社会は変化し続けるものである以上、法がよりよい法であるために、常に今の社会のなかで正しく働いているかを検証していかなければならない、ということをおっしゃっているのだと思います。

 棚瀬先生が取り組んでおられる活動に、離婚後の共同監護の実現があります。

 現在、日本では、離婚後は単独親権となり、一方の親のみが親権者になります。そこで、監護している親と監護していない親が対立すると、監護していない親と子の面会が十分になされないということが起こることがあります。

 棚瀬先生がこの問題に取り組むきっかけとなった事件があります。

 年2回、娘に会わせてほしいというささやかな願いを拒否された父親が、憲法13条の幸福追求権の侵害を理由に上告したところ、最高裁が、「原審が何が子の福祉かを考えて判断したもので、憲法の違反を言う余地はない」とつっぱねました。この事件に棚瀬先生は大きな衝撃を受けたそうです。

「アメリカでは決まって、『相当の面会を認める』と、隔週2泊3日で、別居親の家に泊まりに行っており、この差がどうして生まれたのか、家庭という枠を超えて、子供が、別居親とも親子のかかわりを持っていく社会を深く考えさせられました」「離婚という体験は子供に傷を残す」「だから、離婚の問題は、子供の将来のために考えてあげないといけない」「共同親権が実現して、子供が自分には父も母もいるという安心感をもち、両方との結び付きが維持できれば、離婚の痛手を最小にできる。そういう社会を作りたいというのが、私の共同監護の理念です」(同 7から8頁)と述べておられます。

 私は、弁護士として12年目を迎えました。それなりに実務経験を積んできて、個々の事件において、今の裁判所のあり方、実務の考え方に疑問をもつことが多々あります。最近、裁判所に対して、「現実を見て判断しているのか」「当事者の心情を理解しようとしているのか」「それが正義に叶っているのか」と必死に訴えることが増えたように思います。長年かけて培われてきた裁判実務や法解釈の壁が厚くても、法律実務家である私たち弁護士は、今の社会にふさわしい正しい法の適用を求めて訴え続けていかなければならないのだと思います。

 棚橋先生は、法の中に法の答えがあり、訓練を積んだ法律家が取り出すという「法の自律性」という考え方に理解を示しつつも、実際には、法には曖昧なところが多く、いつも今とは違う法のあり方がたくさん隠れていて、法は社会に開かれている、とおっしゃっています。

 弁護士が、依頼者の抱えている問題を受け止め、力になりたいとの気持ちで日々の弁護活動に取り組む中で、裁判所の判断が社会正義や社会通念とかけ離れていると思えば、臆すること無く声を上げなければならない、そうすることで人権救済と社会正義の実現に寄与しなければならない、私自身、今回の記事を読んで、その思いを強くしました。

 最後に、棚瀬先生の言葉を紹介します(同 11頁)。

「依頼者の事件を扱う以上、それまでの法の規定や考え方を適用してもうまくいかないケースに直面することは、弁護士なら誰でもあると思います。道徳的直感から正しいと考えるのであれば、依頼者の主張が間違っていると決める前に法を疑う、つまり法が社会の中で適切に機能していないと考えることも出来ます。

 裁判の中で学術論争するわけにはいきませんが、通例に従って、暗黙のうちにやっているところや、同じルールでも別の解釈ができる部分が出てくる。その部分を考え抜くことで、法解釈の幅が広がります。必ずしも法が出発点であるわけではなく、法には発見されて後から理屈をつけて説明できる部分があると思っています」