青空カフェcafe

将棋の話

 こんにちは、弁護士の橋本です。

 先月、藤井聡太七段が、史上最年少で将棋のタイトルの一つ「棋聖」を獲得し、大きなニュースになりました。今回は、将棋の魅力について述べたいと思います。

 私は、小学生のころ、将棋に熱中していた時期があり、本で勉強し自分でも指していました。その後しばらく遠ざかっていたのですが、弁護士になったころから再び興味をもつようになりました。テレビ対局のNHK将棋トーナメントは10年以上欠かさず見ていますし、将棋をテーマにした本を読んだり、棋士が来る将棋イベントに出かけたりしています。今は自分で指すことはなく(近年、観る専門の将棋ファンが増え、「観る将」といわれているそうです)、テレビ対局では、解説を聞きながら、次にどんな手を指すのだろうかと予想しつつ楽しんでいます。トップ棋士同士ですと、僅かな有利を築いた方がそのままリードを拡大して勝ちきるケースが多いのですが、不利と思われた方が思いがけない手を指して形勢を逆転させることも頻繁にあるので、最後まで目が離せません。

 ゲームの面白さに加え、私が最近、熱心に将棋を見るようになった理由は棋士の魅力です。棋士は現在160人くらいいて、年間4人しかなれない狭き門です。全国の天才少年たちが、奨励会という養成機関で切磋琢磨し、四段に昇段すれば棋士になれます。しかし、26歳までに四段になればければ退会となり、ごく一部の例外を除いて棋士になる道を絶たれる厳しい世界です。棋士になれても、勝てなければいずれ引退です。

 将棋の対局は、両対局者が互いに「よろしくお願いします」と言って頭を下げて始まります。将棋界の第一人者、羽生善治九段は、対局開始のとき、正座の姿勢から、床につくほど深く頭を下げます。それは、相手が自分よりはるかに若い、下位の棋士に対しても変わりません。対局は完全決着(詰み)の前に終了します。形勢に差が付いて逆転不可能となった段階で、敗者が「負けました」と口に出して頭を下げます。これを投了といいます。すると勝者も頭を下げます。それからしばらく沈黙が続きます。両対局者は、しばらくの間、黙って終わったばかりの対局を頭の中で振り返ります。このとき、勝者が喜びを露わにすることもなければ、敗者が悔しそうな態度を表に出すこともありません。むしろ、勝者が難しい顔をしていることが多く、その場面だけ見ると、どちらが勝ったのか全く分かりません。その場で感情を表に出すのは、相手に対する礼儀、思いやりを欠くものだからです。しばらく沈黙が続き、多くの場合、敗者が先に口を開きます。笑顔で、和やかに、あのときのあの指し手はどうだったかといった話をします。それから、ポイントとなった場面に駒を戻して、いろんな手を指して互いに感想を述べ合う感想戦が始まります。「では仕掛けの場面から」などと一言交わしただけで、両対局者が瞬時にポイントの場面に駒を戻す様子を見ているだけでも、棋士の理解力と記憶力の凄さに驚かされます。今ここで一つの対局が終わっても、棋士の戦いは続きます。感想戦は、今回の対局を次につなげるための反省会ですが、敗者が気持ちを整理するための時間でもあり、長いと数時間に及ぶこともあるそうです。

 将棋は完全に実力の世界で、負ければ全て自分の責任です。負ければ誰でも悔しいし、棋士であれば生活がかかっています。棋士は、子どものころから勝負を続け、自ら負けを認め、反省を繰り返してきました。こうした経験の積み重ねが人格を育んできたのでしょう。まさに、「勝って傲らず負けて腐らず」です。棋士は礼儀正しく、謙虚で、他の棋士に対する尊敬の態度を崩しません。それでいて、個性的で面白い人がたくさんいます。

 将棋界にもAIやインターネットの波が押し寄せています。AIが研究に取り入れられるようになって、将棋の戦術がもの凄いスピードで進化しています。羽生さんの永世7冠獲得・国民栄誉賞受賞や藤井君の活躍、羽生さんのライバルと目されながら早逝した村山聖九段を描いた松山ケンイチさん主演映画「聖の青春」、漫画「3月のライオン」など、将棋の話題が取り上げられる機会も増えました。YouTubeで発信する棋士も現れています。注目度が高まっている将棋が、今後ますます文化として広まっていってほしいと思います。