こんにちは、弁護士の橋本です。
今回は、9月の川崎フロンターレ戦に先発出場し、サッカーのJ1最年長出場記録を更新した横浜FCの三浦知良選手(カズ)の話をします。
私は、社会人になってから、クラブチームでサッカーやフットサルに熱中していた時期がありました。サッカーは好きなスポーツの一つです。
まだ日本にプロリーグもなかった時代に、15歳で単身ブラジルに渡り、ブラジル人相手にプロサッカー選手として勝負を挑む、それだけでも凄いことですが、海外の厳しい環境の中で力をつけ、Jリーグ発足前に帰国してからは日本代表チームを牽引してきました。長年言われていた「決定力不足」は、国際試合で得点を重ねるカズによって過去のものとなり、日本人に勇気と誇りを与えました。得点を決めた後に見せるカズダンス、Jリーグ初代MVPを獲得したときの表彰式でのパフォーマンス、今でも鮮明に覚えています。
カズについて語るとき、何といっても忘れられないのはワールドカップです。1994年のアメリカ大会出場がかかったアジア最終予選のドーハの悲劇では、イラク戦で終了間際にカズの出した足の先から上げられたセンタリングから得点を決められて同点に追いつかれ、あと一歩のところで日本はワールドカップ初出場を逃しました。日本が初めてワールドカップに出場した1998年のフランス大会では、予選の終盤に調子を落とし、大会直前の海外キャンプの最後に代表メンバーから落選しました。このときの日本代表岡田監督の「外れるのはカズ」をテレビで見ていましたが、衝撃でした。子どものころからの夢を正に掴みかけていて、それが叶わないと分かった瞬間の心情は察するに余りありますが、帰国後、グランドに直行してトレーニングに励んだそうです。このとき、一言も不満を述べず、「代表としての誇り、魂みたいなものは置いてきた」と、選ばれた選手達に思いを託しました。
アメリカ大会の後、イタリアのジェノバに移籍し、日本人で初めて世界最高峰のリーグ・セリエAでプレーします。フランス大会の後には、日本には馴染みのなかったクロアチアリーグの名門ザグレブでプレーしています。今では日本代表のほとんどの選手がヨーロッパでプレーしていますが、カズがその道筋をつけたといえるでしょう。
カズのコメントは常にポジティブで、飽くなき向上心が伝わってきます。後に続く選手達に心からの敬意を示し、彼らから学び、エールを送り続けています。代表で一緒に戦った中田英寿選手や中村俊輔選手、さらにその下の世代の長谷部誠選手、内田篤人選手などにとっても、カズは憧れと尊敬の対象であり、自分たちがどんなに海外や代表で活躍しても特別な存在であり続けているのだと思います。こうした選手達のカズに対する思いを見聞きするたびに、胸にジーンときます。常に挑戦者であり、先駆者であり、変わらない情熱でどんな困難にも立ち向かい、サッカーの枠を超えて人々に影響を与え続けるその姿が「キング」と呼ばれる由縁でしょう。
今回のJリーグ最年長出場は世界中で賞賛を集めています。かつてプレーしたイタリアでは、「カズを覚えているか」の見出しで称えています。今なお、試合に出場することを熱望して日々たゆまぬ努力を続けていること、出場しただけで満足せずひたすらに得点と勝利を求めていることが、そのコメントから伝わってきます。次はJリーグで得点を決めてカズダンスを披露し、チームの勝利に貢献して欲しい、そのときカズが何を語り、それが世間にどれだけのインパクトを与えるのか、とても楽しみです。