青空カフェcafe

日本人の感性

 こんにちは、弁護士の橋本です。

 早いもので私が十和田に来てこの春で12年になります。私が感じる十和田の魅力の一つに四季の移り変わりを日々感じられることがあります。四季の変化と自然の美しさに育まれた日本人の感性は、日本文化を特徴づける最も大きな要素、魅力であり、音楽、文学、 絵画、 映画、ファッション、デザイン、建築、芸能、そして最近ではアニメやゲームなどの映像といった日本文化にも大いに受け継がれているように思います。私は、十和田に来たことで日本文化への関心が高まり、さらには日本の魅力、日本人としてのアイデンティティを考えるようになりました。ここ数年、ルーツとしての古典に興味をもつようになり、角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラッシックス 日本の古典」シリーズを読んでいます(学生時代、古文の時間を睡眠に充てていた私にとって原文は難しいので)。このシリーズは、本屋で簡単に手に入り、最初に現代語訳があって何を書いてあるか理解した後で仮名つきの原文を読んで雰囲気を感じることができ、さらに面白い寸評がついているので、学生時代に古文が苦手だった人にもお勧めです。今回は、その中で「枕草子」を取り上げてその魅力について述べたいと思います(「ビギナーズ・クラッシックス」の解説を頼りにときどき引用させていただきます)。

 春は、曙。やうやう白くなりゆく、山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。

 「枕草子」の冒頭部分は多くの人が学校で習い聞いたことがあるでしょう。何となくいいなと思いますが、解説を見て改めて読むと、この冒頭部分がいかに素晴らしいか、そしてその後に続く「枕草子」全体のオープニングを飾るにふさわしい段であるかがよく分かります。

 「第1段は、古来、名文として名高い。その名文たる所以はどこにあるのか。一言で言うならば、それは、絶え間ない変化であり、際立った対比であろう。」(14頁)「この第1段は約四百字にすぎない。その中に、これだけの変化と対比が織り込まれている。さらに、全体に一貫した動機がある。光と色である。」「ここに挙げたことはそのまま、『枕草子』という作品全体についていえることである。」(15頁)

 第1段には、季節の変化、段の中での時間の変化(早朝から昼)、視点の変化(自然から人事)があり、「曙と夕暮れ」「夜とつとめて」「月と闇・雨」「(蛍の)多くとほのか」「烏と雁」、視覚(雪や霜の白、炭火の赤、黒)と聴覚(風の音、虫の音)と皮膚感覚(早朝の寒さが昼になって緩む)などの対比があります。この解説もすごいと思います。これを聞いただけでも、改めて「枕草子」を手に取ってみたくなるでしょう。

 学校で「枕草子」の冒頭部分を習ったとき、私は、この後にどのような内容が続くのか(そもそも続きがあるのか)、清少納言とは何者かさえ全く分かっていませんでした。「枕草子」は、今から1000年ほど前の平安時代に、一条天皇の中宮(天皇の后の最高位)定子に仕えた女房(待女)の一人である清少納言が、定子を中心とする宮中(後宮、サロン)の人々や自身の感性を書き綴ったものです。初七日、小正月、葵祭、端午の節句など四季折々の行事や役人の人事、宮仕えや結婚、寺籠りなどの風習といった当時の貴族の生活、季節の移ろい、自然美などを題材に、清少納言の美意識、感性が語られています。そして、当時の貴族の価値観、それを踏まえたあるいは清少納言独自の価値観が示されています。そこには、現代にも通じる普遍的なものが多く含まれて、私たちは共感したりほっとしたりします。だからこそ、1000年以上経った今も読み継がれているのでしょう。

 「『枕草子』を読むとき、貴族文化の繊細な美意識に浸る楽しみを味わうのはもちろんであるが、それよりも驚かされるのは、一千年の時を隔てても少しも変わらない人間の姿であり、思いである。」(226頁から227頁)

 次回は、いくつかの段を取り上げてみたいと思います。