明けましておめでとうございます、弁護士の橋本です。
今年の正月は帰省せず、自宅で箱根駅伝を見ながら過ごしました。往路優勝した創価大学がそのまま逃げ切るかと思われたゴール目前でドラマが待っていました。改めて勝負の厳しさ、最後まであきらめないことの大切さを目の当たりにしました。
レースは最終10区、3分19秒、距離にして1.1キロ差の2位で襷を受けた駒澤大学のアンカー石川選手がぐんぐんと前との差を詰め、ゴール手前2キロでトップに立ちました。大八木監督から「男だお前は」と声を掛けられ、石川選手が応える場面が感動的でした。石川選手は昨年もアンカーを任され、思うような走りが出来ずに悔しい思いをしていたそうです。「平成の常勝軍団」と呼ばれた駒澤大学は、12年間優勝から遠ざかっていました。この間、なぜ勝てなくなったのか、監督や選手、関係者が必死に考え、試行錯誤を繰り返し、地道に努力してきたことでしょう。
創価大学のアンカー小野寺選手は本来の実力を発揮できず辛かったことでしょう。それでも必死に2位を死守した走り、それを応援し喜ぶチームメートの姿に胸を打たれました。レースの後、榎木監督は、「駒大は勝ち方を知っていた」と称えて「我々はまだ勝つのは早かった」と潔く負けを認め、選手達に向けて「この悔しさを一生忘れるな。でも卑屈になることはない。この悔しさをバネにして成長すればいい。」と話しています。
優勝候補に挙げられていた青山学院大学は、エースで主将の神林選手の怪我が12月28日に発覚しました。それでも原監督は、1年間チームを支えてきた神林選手を走らせてあげたかったそうですが、神林選手は「僕がいなくても優勝できる。後輩に走らせて下さい。」と言って断ったそうです。チームは往路12位から4位まで追い上げて復路優勝しました。2年生のアンカー中倉選手の給水係を務めて激励し、笑顔で出迎えた神林選手は「前年覇者の主将らしい立ち居振る舞い」「グッドルーザー(良き敗者)」と称えられていました。
学生時代に競技で成績を残した人もそうでなかった人も、卒業後は社会に出て行きます。原監督は、著書「フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉」(株式会社アスコム)でこのように述べています。
「競技生活を終え卒業すると、一部の選手以外は社会人としての生活が始まります。学生を預かる身として責任を感じるのは、競技能力を高める以上に、人として成長させてあげられるかどうか。」「人としてどうあるべきか。これはスポーツ選手やビジネスマンに限らず、誰にでも、人生のどの段階でも必要なことです。ですから、「裏切るな、責任をもってやれ、嘘をつくな、約束は守れ」と、私は部員全員に口を酸っぱくして訴えています。」
プロ野球選手として3度の3冠王を獲得した後に中日ドラゴンズの監督としても特筆すべき実績を残した落合博満さんは、著書「采配」(ダイヤモンド社)の中で、勝負と人生の関係について、このようなことを述べています。
「プロ野球選手という仕事は、目立つ実績を残した者よりも、何の実績も残せずに消えていった者のほうが圧倒的に多い。それでも、違う世界で名を成した人は大勢いる。」「人生はどこでチャンスが訪れたり、自分を生かせる仕事と巡り合えるかわからない。そう考えれば、思い通りの実績があげられなかった人たちも、勝利を目指す道の途中にいる人だと考えられる。」「道の先にある「勝利」の定義とは、人それぞれなのだ。もっと言えば、「勝利」の正体が何なのか、すべてわかった上で突き進んでいる人などいないのだと思う。だからこそ、大切なのは現時点の自分が「勝ち組」なのか「負け組」なのかと自覚することではなく、ただひたすら勝利を目指していくこと。そのプロセスが人生というものなのだろう。」
卒業して社会に出て行く4年生と次を目指す現役の選手達全員にエールを送りたいと思います。私自身も今年1年頑張っていこうという決意を新たにしました。