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縄文文化

 こんにちは、弁護士の橋本です。

 先月、ユネスコの世界遺産委員会で、青森県・北海道・岩手県・秋田県の17遺跡でつくる「北海道・北東北の縄文遺跡群」を世界文化遺産に登録することが決まりました。文字のない先史時代の文化遺産としては国内初の登録です。世界遺産委員会は、「農耕以前の人類の生活と複雑な精神文化を示している」などと評価しています。私は、今年初めて三内丸山遺跡を見に行きましたが、土偶や土器、アクセサリー、石器や釣り針、銛など、出土品の多さとその保存状態の良さに驚きました。今回は、研究によって明らかになりつつある縄文文化について考えてみたいと思います。

 縄文時代は今からおよそ1万年から1万2500年ほど前に始まり、水稲農耕が盛んになる2400年ほど前まで続いたとされています。縄文時代については、そもそも土偶は何のために作られて何に用いられていたのかなど、いまだに多くの謎が残されています。それでも、遺跡の発掘が進み、いろんなことが分かってきました。縄文人は、クリやクルミなど木の実を採取し、シカやイノシシなど動物を狩り、サケ、ブリ、サバ、フグ、ヒラメなどの魚を捕り、シジミやアサリなどの貝を集めて食べていました。三内丸山遺跡で見ましたが、特に魚は驚くほどいろんな種類のものを捕らえて食べていたようです。縄文時代の特徴としては、人々が住居を作って定住し、ムラを形成し共同生活を営んでいたこと、保存や調理のため土器を作って使っていたこと、黒曜石や動物の骨などを削って釣り具、銛、弓矢などいろいろな道具を作っていたこと、丸木舟を作り漁や交易を行っていたこと、竪穴式住居に住み食料を高床式倉庫に保存していたこと、複雑な形状や文様の土器や土偶、細かい装飾品などを多数作り豊かな文化を形成していたことなどがあります。

 縄文時代は約1万年続くのですが、大規模な争いがなかった平和な時代だったといわれています。貧富や階級の差はなく、人々は定住して共同生活を行うことで、得た食料を皆で分け合って生きてきました。食料が豊富だったため縄張り争いをする必要がなく、「土地を所有する」という概念がなかったと思われます。森や川、海などの自然の恵みを自分のものと考えることなく、クリの木などを共同で管理し、動植物を必要以上に採取しないようにして、自然の恵みが枯渇しないよう大切に守っていたようです。乳幼児の死亡率が高く、誰の子かを意識することなく共同体で子育てしていたことも人々の結束を高めることに役立ったことでしょう。

 この間、世界に目を向けると、4大文明の起こった時期は諸説あるようですが、古いものでも紀元前5000年から3000年ほどといわれています。その前のことは文字がない先史時代なのでよく分かっていません。これらの文明は、いずれも大河流域に起こり、都市を形成し、農耕を営んで穀物を栽培しました。権力者がピラミッドや神殿、宮殿などを築きました。それは支配と抗争の歴史でもあります。日本でも、後の弥生時代になると稲作が始まり、土地を所有し収穫した穀物を蓄えることで貧富の差が生まれ、支配階級が現れ、やがて部族間の争いも起こるようになります。そうしてみると、縄文時代は、人々が精神的にも物質的にも穏やかに豊かに暮らし平和が長く続いた世界的にも希な時代だったのかもしれません。