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「人新世の資本論」

 こんにちは、弁護士の橋本です。

 人類の経済活動が地球環境を破壊する「人新世」の危機を解決するための手がかりを、マルクスが晩年たどり着いたエコロジー思想に求め発展させた「人新世の資本論」(集英社新書)が、今年の新書ベストセラーになっています。著者は大阪市立大学准教授の斎藤幸平先生です。1月にNHK教育テレビの人気番組「100分de名著」でマルクスの「資本論」が取り上げられ、斎藤先生が現代の社会問題と対比しつついろいろな実例を出して分かりやすく解説したことがブームのきっかけとなりました。「100分de名著」は番組内容に沿ったNHK出版の詳しいテキストがあります。

 今回は、番組の内容を紹介しつつ、地球環境や経済格差といった現代の問題について考えてみたいと思います。

 第1回は「『商品』に振り回される私たち」

 労働によって生み出される商品の価値に人々が振り回される仕組みについて、本来誰もがアクセスできる共有財産(コモン)だったはずのもの(森の湧き水)が、資本によって独占され商品化(ペットボトルのミネラルウォーター)されて人々が自然から切り離されて貧しくなっていくプロセスを説明しています。

 確かに私たちは、「富」について、貨幣と交換される「商品」のイメージにとらわれすぎており、本来自然界に潤沢にあり(自然の恵み)、所有するものではなく皆で分かち合うもの、持続的に利用できるよう共同で管理し守っていくもの、という考えが及ばなくなっているように思います。

 第2回は「なぜ過労死はなくならないのか」

 「資本」を、際限なく自己増殖を目指すように自動化された「運動」と捉え、人々をこの運動に従属させ歯車として長時間働かせる仕組みが説かれています。

 資本主義社会は、人々を封建的主従関係や共同体のしがらみから解放しただけでなくそこにあった相互扶助や助け合いから切り離してしまった、労働者自身が職業選択の自由を行使して自分で選んだ仕事に就いて自発的に働いているという自負、という二つの意味での「自由(フリー)」が労働者を超過労働に追い込んでいる、劣悪な環境の仕事であれば辞めればいいという単純な話でない、との指摘は現代にも通じる話だと思います。

 第3回は「イノベーションが『クソどうでもいい仕事』を生む?!」

 過激なタイトルです。人類学教授デヴィッド・グレーバーが提唱した、そもそも社会的にさほど重要とは思われない仕事、やっている本人でさえ意味がないと感じている高給取りの仕事を意味する「ブルシット・ジョブ」という言葉からとった表現です。ここでは社会にとって欠かせないエッセンシャルワーカーの仕事と対比されています。そして、極端な分業による単純作業(「構想と実行の分離」)が仕事から創造性や楽しさを奪っていること(「疎外」)、更なる資本蓄積のための更なる生産性向上を目指す「イノベーション」(新たな技術革新)によってその傾向が助長されていることに警鐘を鳴らし、本来労働はもっと魅力的で人生はもっと豊かであるべきであると説いています。

 今日の社会において、私たちは、ITやロボットやAIの活用といった現代のイノベーションが私たちの働き方をどのように変えていくのか注視する必要があるように思います。

 第4回は「〈コモン〉の再生-晩年マルクスのエコロジーとコミュニズム」

 「資本論」において、資本は人間だけでなく自然からも豊かさを一方的に吸い尽くし取り返しのつかないところまでいくことが繰り返し警告されています。斎藤先生は、晩年マルクスが資本主義の問題を克服するためにエコロジーや共同体研究にエネルギーを費やし、富をシェアし自治管理していくことで平等で持続可能な社会を構想していたことを紹介しつつ、「人新世の資本論」で深化発展させています。 19世紀に資本主義の矛盾を指摘した「資本論」は、20世紀後半に自由主義陣営が共産主義との戦いに勝利した後、ほとんど顧みられなくなりました。1980年台以降の世界的な新自由主義の流れの中でグローバリズムが推し進められて40年たった今日、私たちは世界的な気候変動、深刻な環境破壊、極端な経済格差の問題に直面しています。

 現代に生きる私たちは、社会体制として資本主義を当然のものとして受け入れていますが、今の社会のあり方を続けていていいのか、150年前にマルクスが指摘した資本主義の本質について現代の問題として改めて考え直し、現代社会が抱える問題を解決するために行動していく必要があると思いました。