青空カフェcafe

今年読んだ本

 こんにちは、弁護士の橋本です。

 今回は、今年私が読んで印象に残った本を紹介します。

「ユダヤ人の歴史」(中公新書)

 著者は東京大学大学院でユダヤ史などを専門とする鶴見太郎先生、今年発売され本屋さんでもよく見かける話題の本です。私も新聞の書評で知って手に取りました。

 世界史の中でインパクトを与え続けているユダヤ人とはどのような人たちなのか。私たちが目にするユダヤ人に関するニュースや世界史の本は、多くがヨーロッパ、中東、アメリカといった主要なパワーの側からみた事件を断片的に取り上げています。専門家でもない限り、なかなかユダヤ人の通史に触れる機会はありません。

 この本は、世界史にユダヤ人が登場する前の旧約聖書から始まり、現代に至る3000年という途方もない時間をわずか300頁にまとめたものです。後書きで鶴見先生は、「謙虚な人間であれば身の程を知って断念しただろう。」(301頁)と謙遜されていますが、3000年の間の主要な事件を取り上げたという内容ではなく、ユダヤ人やユダヤ教に馴染みの薄い私たちにとっても本質的な理解が深まる、とても内容の濃い1冊です。

「中動態の世界 意思と責任の考古学」(新潮文庫)

 著者は、以前、「暇と退屈の倫理学」で紹介した東京大学大学院で哲学を専門とする国分功一郎教授です。

 本の紹介というより私の個人的な経験ですが、中学校で英文法を学び始めたときから、私は、主語を中心に能動態と受動態に分けて文章を組み立てる発想にずっと違和感を覚えてきました。英作文の授業では能動態の文章を受動態に直し(直せると教わり)、大学受験のときにはS、V、O、Cの構文の理解に努めましたが、英語では全ての文章には主語があるといいつつ、天気についてItで始めてこれには意味がないといわれたとき、むしろ全ての文章に主語があるということ自体が不自然なのではないか、と思いました。日本語では、なんとなく状態を述べているような、主語が曖昧な文章を私たち日本人は特に意識せずに自然と受け入れています。なぜ英文法では主語や主語を出発点とした構文にここまで拘るのか、この年までずっと引っかかっていました。

 言葉は他者とのコミュニケーションツールであることは勿論ですが、思考のための道具でもあるわけです。言語の特徴によって思考方法に影響がある、逆に思考方法の傾向が言語に影響を及ぼす、かつて主語(主体)を中心とした能動態と受動態の区別とは違う発想の態としての中動態というものがあった、という説明を聞いて、私の数十年間の違和感が解消されたような気がしました。

 それだけでなく、この本は、私たちには言葉で説明しきれないことがたくさんあるということ、言葉を用いても互いを理解するのは難しいこと、そのことを理解してそれでも互いの理解に努める謙虚さを失わないことの重要性なども教えてくれます。

 それでは中動態とは何かと問われてもなかなか説明が難しく、とても難解ではありますが、意思や責任といった法律家にとっては馴染みの概念についても考察を広げており、面白い本です。

「チンギス紀」(集英社文庫)

 北方謙三さんの歴史小説の大作です。文庫本で読んでいて終盤に差し掛かりましたが、文庫本自体、まだ完結していません。

 チンギス・ハンやモンゴル帝国については学生時代に必ず習いますので、誰もが知っているといえば知っています。これほどの有名人を描くことの大変さを、第1巻の後書きで同じ作家の今村翔吾さんが述べておられます。

 一人の少年が成長し大事を成し遂げるまでの生き様、その過程で誰と出会い、何を感じ、何を思い、いかに行動したのか、チンギス・ハンだけでなくこの時代に生きた登場人物の一人一人からもすごい熱量が伝わってきます。

「ミカエルの鼓動」(文春文庫)

 大学病院における医療をテーマにした柚月裕子さんの人気作品で、多数の書評が出ています。今年私が読んだ小説の中でも特に面白かった本です。

 全編を通じて、自分の信じている正しさに疑問を呈されたときの苦しさが伝わってきます。自分を信じベストを尽くすことと自分の過ちの可能性を考えること、主人公を通してプロフェエッショナルに求められる姿勢を説いているように思います。

 初めて読んだときには主人公に強く感情移入しました。2回目に読んだときにはライバルに強く共感しました。人の価値観、考え方や行動が、その人の生い立ちや歩んできた道に強く影響されたものであることの重さも印象的でした。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(岩波文庫)

 いわずと知れたマックス・ウェーバーの歴史的名著、大塚久雄さんの訳です。私は学生時代、政治学科に在籍していたのですが、ほとんど勉強せず、あまりに有名なこの本も読んでいませんでした。ずっと人生の宿題をやり残してきたような気がしていて、数年前から歴史的名著を年1冊でも読もうと思い、ついに今年読んでみました。現代社会やその課題について説かれた本の多くがこの本に言及していることも、読むきっかけとなりました。

 自らの職業生活に励むことが神に対する信仰の実践であるという天職概念や神の救いが与えられるかどうかは予め定められているという予定説の思想と、ピューリタンの質素、倹約を旨とする清貧思想・生活態度が結びついて、資本の蓄積を促し近代資本主義の誕生につながった、という大まかな説明は世界史の授業で習って何となく知っているつもりになっていても、実際に読んでみるといろんな発見がありました。この本のテーマはマックス・ウェーバーの研究対象だった宗教比較の一環であったこと、そのためルター派、カルバン派の思想だけでなく派生するプロテスタントの思想を多数取り上げていること(膨大な量の注が挿入されていますが、それらの知識がないのでほとんど理解できませんでした)、プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に大きな影響を与えたのはあくまで近代資本主義の生成期のことであり、資本主義が確立した後には別の論理が働いていることなどです。

 「論述を追っていく、つまり本を読むとは、その論述との付き合い方をそれぞれの読者が発見していく過程である」「大切なのは理解する過程である。そうした過程が人に、理解する術を、ひいては生きる術を獲得させるのだ」

 どこまで実践できたか分かりませんが、先述の国分功一郎先生が「暇と退屈の倫理学」の後書きで述べていることを思い出しながら、何とか最後まで読み進めました。